Hiroshima/Musashino ピース

https://www.facebook.com/events/238184449695922/

日 時:2014年3月16日午後1時30分

場 所:武蔵野プレイス・スペースA

 

広島でのこれまでを関係者をスカイプでむすんで懇談した。以下、そこでのやりとりかた思ったことを書きとめた。

 平和運動という言葉からあるイメージが想起される。それらにしばられないものをつくりたい。個別の課題にとりくむとともに、共通のさまざまな問題の基層にあるものを見いだしたい。あらわれはさまざまでも、何がそうさせるのか、同じ原理があるのではと思う。対立、争い、紛争、戦争の原因となるのは何か。

 広島では、2013年の1月末に、平和教育に関するシンポジュウムを開き、その後、GCPEJの支部として学習会をもってきた。

 そのなかで、学校教育関係者や開発教育、国際協力、留学生への教育などにたずさわる方々とのつながりができてきた。別のところでもこれまで平和教育を推進してきた民間教育研究団体やサークルのほか、教育に関わりたいという若手起業家や国際協力の現場から戻ってきた人びととの連携もなされるようになってきている。

 環境活動にかかわる学生サークルが全国から集まる「エココン」というのがなされて10年にもなる。環境活動にかかわる青年団体の連合体である A SEED JAPANという団体もある。

 http://www.ecocon.info/

   http://www.aseed.org/

   平和への想いで集う場ができないか。平和学会では平和博物館・資料館での取り組みをはじめられた。いとうたけひこ さんは「安・近・短」モデルを提案している。

 広島のほか、長野や盛岡、仙台などでもできればと思っている。やがてはそれらがつながることができればとも思う。

 IIPEへの参加は大きなインパクトであったという。さまざまな思いをつなげる、そうした場が欲しいという想いもある。ただし、たくさんの団体やイベントがすでにあるなか、あらたに広島で何をするのかという意見もいただいた。広島市立大学での講座には100人もの人が集まっているとのこと。他方、地域での9条の会や教科書問題の集会には、どうも組織からの参加とみられる方々が多いようだったり、同じような人たちの参加のように見受けられる。岩国には、米軍基地があるが、基地をめぐる「問題」を知らないでいる高校生をみると不安になる。それでよいのか。大人もそうだが、何もしらなくて大人になってよいのか、私たちの責任が問われてくる。

 なぜ、平和教育をすすめるのか、問われる時に、その起点は何かをたえず思い起したい。出会った人びと、体験はどうか。わたくしのタイでのカンボジア難民キャンプ訪問のこと。「原爆は必要なかったはずだ」と涙をながしたドイツの女子高校生との交流を思い起した方もおられた。

 自分ができることは何か。さまざまな現場で、学校や地域で、人びとのつながりをつくることをしていきたい。これまでの学校づくりや、学級や行事、また教科教育をとおしての実践も堀りおこさなければならない。

 広島には平和公園に碑もあるバーバラ・レイノルズさんらのクェーカーによるワールド・フレンドシップ・センターがある。NARPI(東北アジア地域平和構築. インスティテュート)にも協力していただいている。

 http://homepage2.nifty.com/wfchiroshima/japanese/index.html

 参加型の学習は90年代に紹介され、人権・開発教育などでひろまっている。非暴力トレーニングは1960年代、住民運動が興隆するなか、紹介された。近年は、組織における対立・紛争解決の技法が、人びとのエンパワメントをひきだすファシリテーションやコーチングなどともに注目されている。広島県立大学の冨田さんらによって「参加型の新しい平和教育教材の開発〜広島の地域課題に根ざした ESD の取組」がすすめられ、オリジナル平和学習教材 『参加型で学ぶ「廣島」「ヒロシマ」「Hiroshima」』が編纂された。

 https://www.pu-hiroshima.ac.jp/uploaded/attachment/713.pdf

 2013年1月のシンポジュウムでは、布川、ビナード、リーパーさんから教育の課題が指摘された。参加者のなかから、似島のことやほかでのフィールドワークの可能性も示唆された。ビナードさんの『さがしています』(童心社)を使ったワークショップをということでは、教案や実践に、ビナードさんからコメントをもらうというのもよいかもしれない。

 社会運動とこころあり方を求める人びとがはなれているようにも見受けられる。平和学、平和教育、平和運動は別でよいのか。人びとが集うなかで、再度、何かが生まれるかもしれない。マルクスは政治的な闘争を構想したが、現代的意義は何か。こころの平和を願うことが、社会変革にどうつながるのか。佐貫浩さんは、人権、抑圧、不正義へのたたかいが、平和教育だとされる。権力をもつ支配層の自由の拡大にたいして、民衆の自由が奪われる現状を「あばく」ことをするのだという。

 環境教育でも自然保護や自然体験からの流れと、公害教育といわれる社会とのかかわりを追究するものがある。平和教育でも今の問題へのつながりをつけなければならない。

 昨年度から、広島市で平和教育プログラムがはじめられた。いろいろ意見もあるだとうが、とりあげるべきことの1つであろう。

 www.city.hiroshima.lg.jp/.../20130226kaigisiryougidai1gakunen.doc

 対立・紛争解決を学ぶアニメ『みんながハッピーになる方法』(平和文化)や

 http://www.peacevideo.net/

 ヨハン・ガルトゥングによって提唱されたSABONAという手法は、ノルウェーの学校で実践されているが、日本では、室井さんらによってSABONAの会ができ、マット教育ガイドブックも用意されつつある。こうした技法も学んでいきたい。

 平和への課題はひろがり、まちづくりや、地域での子育て、若者支援の居場所づくりなどコミュニティ・カフェや、ソーシャル・ビジネス、またアースディ、フェアトレード、フェスなどの動きとも呼応するのではと思っている。

(淺川 和也)