平和教育地球キャンペーン
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平和教育地球キャンペーン京都ミーティング
日 時:2014年1月26日(日)午後3時から5時
場 所:ベーコンラボ4階(京都駅より2分)
[map/access]http://minakata-science.com/?page_id=2719
内 容:次世代とつくる「グローバル」な平和
ゲスト:クレイグ・スミス(京都外国語大学)
進 行:淺川 和也(東海学園大学)

クレイグさんには、学期末のこともあり、「被爆者証言の世界化ネットワーク」NET-GTAS(京都外国語大と国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が連携し、祈念館で公開している被爆者の証言ビデオを多言語に翻訳して字幕をつける事業)のビデオ会議や設立総会、また舞鶴引揚記念館ユネスコ世界記憶遺産登録のための翻訳など超多忙のなかおいでいただいた。

 ほか当日は、平和のための博物館・市民ネットワーク、英語教育での開発教育の展開、地域でのゲストハウスなどへの関心、また商社に勤務をされている方といった多様な方の参加があった。とくにまとまった話をすることではなく、各自の自己紹介とつなげて、話題をひろげる形ですすめられた。

 はじめての方は、懐かしい未来ネットワークでのノーバーグ=ホッジさん来日の際のイベント(映画)、またデンマークのCrossing Bordersの代表で「フォルケホイスコーレ(Folkehøjskole)」で平和構築と地球市民(global citizen)育成のためのプログラムを実施しているガルバ・ディアロ(Garba Diallo)さんが来日された際のイベントのサイトへのお知らせを見て、参加されたとのことであった。

 冒頭、クレイグさんから、NET-GTASにかかわるイベントで、京都原水爆被災者懇談会世話人の花垣ルミさんの紙芝居「おばあちゃんの人形」(本の泉社)の英語スクリプトを読む際、涙ながらになったとのお話しがあった。また、舞鶴引揚記念館のことも語られた。

 終戦が1945年で、引き揚げは戦後13年もたった1958年まだ続いたというのは驚きだ。戦前、中国大陸および朝鮮半島に660万人の日本人がいた。半数が民間人で、日本人の帰国は、民間人は引揚、軍属は復員といわれた。とくに、シベリア抑留のことは、辛い記憶となっていて、舞鶴引揚記念館は、それを伝えているとのことであった。未だにしばしば満州から引き揚げにともなう苦労を聞くことがある。まっさきに軍人はいなくなり、女こどもただけで生き延びて、瀋陽の日本人会に世話になっていたとのこと。

 参加者のなかから、祖父が軍医であってその足跡をたどるにはどうしたらよいかという話もあった。全国に戦友会があるが、だんだん高齢化し解散するところが相次いでいるとの話を聞いたことがある。各県には軍人恩給を支給する部局があり、遺族会もある。

 元兵士の方にインタビューをして記録をつくっているBFP(ブリッジ・フォー・ピース)という団体がある。平和に関わる団体のイベントに行くとシニアの方々が多いなか、BFPでは若い人から元兵士の方まで幅広い年令層が会員となっている。代表の神直子さんは、青山学院の元教員の雨宮さんがなさったフィリピンへのツアーに参加したことがきっかけだったと語っている。現地で日本兵による虐殺によって夫を失った未亡人の「日本人に会いたくなかった」という言葉が忘れられず、その後、元兵士の方にお話をする機会があり、それを映像で記録する活動につながった。さらに、フィリピンやタイ、韓国で、戦時中の日本の社会や招集され、戦地に赴いた兵士の思いを伝える活動を展開している。

 もちろん戦争は過去の話ではなく、南北問題は構造的暴力をもたらしている。いわば、わたくたちの「ゆたかな」生活は、「途上国」を搾取することでなりたっている。「バナナと日本人」「エビと日本人」という本があり、そのことを具体的に示してくれている。関西セミナーハウス(クリスチャンアカデミー・関西)で岩崎さん(帝塚山学院大学)とともに開発教育を学んで、英語教育に応用している参加者もおられた。開発教育教育協会は、貿易ゲームや「もしも世界が100人の村だったら」といった参加型の学び方を提唱していいる。英語教育では、JALTのSIGにGlobal Issues in English Learningという部会があり、鳥取大学のKip Cates さん、立命館大学のDaivid Peate さんやChris Summervilleさんなど、花園九条の会ほかでの共通する知人もおられた。この9月、神戸でPGL, Peace as a Global Language という会合が予定されていること、この9月にソウルで、第8回国際世界平和博物館会議(INMP)があるとの紹介もあった。国際世界平和博物館会議で、舞鶴引揚記念館のことも発表されるよいとの話もなされた。

 PGLVIや模擬国連、ハビタットフォーヒューマニティーなど幅広く活動するクレイグさんは、赤毛のアンの出版100周年の行事にも関わったとのこと。ルーシー・モード・モンゴメリーの孫のケイト・マクドナルドさん、翻訳者の村岡花子さんの孫の村岡恵理さん、松本侑子とのシンポジュウムもありました。アンのストーリーを元気な女の子というのみならず、孤児(女子)への差別や児童労働、つまり人権をテーマとして読んだらどうか。赤毛のアンの翻訳が出版されたのは1955年で、戦後復興期にあった日本社会で、アンに自分たちの姿を投影しての好意的に読まれたのであろうとのこと。

 他、ゲストハウスを運営したいという問いかけに、B&B Horie(堀江満智さん)をご存知だという応答があり、地元密着のやりとりがあった。また、商社に勤めているが問題を感じるとかの話題から、日本には世界最古の企業、金剛組があったこと、また、他にも歴史のながい企業あり、社会とともにあるのが企業であり、人びとを幸せにするのが、本来の経済なのではという論議にも発展した。明治にさまざまな企業をつくった渋沢栄一は財界引退後、福祉事業を行ったのには何か意味があるのではないか。UNDPは Human development Indexまた、Global Peace Index というのがあり、経済発展のみでない社会のあり方を示している。